人は何度も性犯罪に遭うと恐怖すら感じなくなる

 

私の人生は、特異だ。

 

人からそう言われることも多いが、自分でも少々多くを見過ぎているのではと思う。

 

初めて性犯罪に遭ったのは、小学生になってすぐの頃だった。

 

それからレイプ、痴漢、不審者、下着泥棒、ストーカー、性犯罪と呼ばれるものは一通り被害に遭ってきた。

 

それでも私は、男性を怖いとは思わない。

 

医療少年院のことを書こうと思ったのは、メディアという歪んだ世界で働く者として、日本のありのままの、子どもたちが暮らす現状を知ってほしかったからだ。

 

同じく、性について様々な議論がされる昨今、女性の権利を訴える方たちに被害者だから分かることを伝えたいと思った。

 

正直「知りもしないくせに」と思うことばかりである。

 

そういう星の元にでも生まれたかと思うほど、性犯罪に遭ってきた経験者から現実をお伝えしよう。

 

小学生になってすぐ、ちんちんニギニギおじさんに遭遇する

 

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その日は母と妹と学校帰りにスーパーへ寄った。

 

買い物の途中、私は母に「トイレへ行きたい」と言うと、母は「入り口で待っているから、ひとりで行ってきなさい。」と言った。

 

男女別になっているあの入り口で、母と妹は待ち、私はひとりで女性用トイレの個室に入った。

 

しかし、ドアを閉めるのが怖かったため、ドアは開けっぱなしにしていた。

 

すると、30代くらいだったろうか。

 

男性が私の個室に入ってきて、内鍵を閉めた。

 

背中がゾワゾワした記憶は、今も残っている。

 

声を上げることもできずそのままじっとしていると、おじさんは私の足を開いてこう言った。

 

「よく見せて、もっと開いて。」

 

AVかよ。

 

とツッコミたくなるが、リアルにそんなおじさんが存在したのである。

 

おじさんはニコニコしながら私の足の間を観察し、しばらくすると立ち上がってズボンを脱ぎ始めた。

 

またもニコニコしながら、おじさんは私の手を取り「優しく握って、そう、ニギニギしてごらん」と言った。

 

お前がさせといてなにが「ごらん」じゃボケカス

 

と、今なら言える。

 

が、当時の私にそんな勇気はなかった。

 

言われるがままおじさんの指示に従い、数分ニギニギした後おじさんは「お母さんには内緒だよ」と言って、どこかへ消えた。

 

私は今も、おじさんの言いつけを守っている。

 

性犯罪に遭った数知れず、しかし得たものもある

 

前世で相当悪行を犯したか、そういう星の元に生まれてきたのだろう。

 

ちんちんニギニギおじさんに始まり、アラサーになるまで以下の性犯罪に遭ってきた。

 

  •  祖母とホームセンターへ行ったものの、店内で祖母とはぐれ迷子になる。男性二人組に布団コーナーの橋へ追いやられ、全身をくまなく触られる。(8歳)
  • 友人宅から帰る途中トラックに拉致され、舐めてみようかとしゃぶらされる。お母さんには内緒だよ、を今も守っている。(11歳)
  • 高校の帰り道、裏路地に引きずり込まれてレイプ。堕胎。(17歳)
  • 初めての一人暮らし、下着泥棒(21歳)
  • マンションの工事業者にストーカーされ、結婚するか死ぬかだと包丁を持って脅され、池袋で追い回される。(23歳)
  • 友人宅から帰る途中トラックに拉致され、舐めてみようかとしゃぶらされる。お母さんには内緒だよ、を今も守っている。(11歳)
  • 高校の帰り道、裏路地に引きずり込まれてレイプ。堕胎。(17歳)
  • 初めての一人暮らし、下着泥棒(21歳)
  • マンションの工事業者にストーカーされ、結婚するか死ぬかだと包丁を持って脅され、池袋で追い回される。(23歳)

 

痴漢には2回遭った。不審者など見すぎて、ちんちんを出しているくらいじゃ驚きもしない。

 

昔から男性には縁があるようで、彼氏が途切れたことはない。

 

遊び相手に困ったこともなく、出会いが欲しい、彼氏が欲しい、と嘆く友人の気持ちは分からなかった。

 

男性に好かれることは、一般的には羨ましがられる。

 

そんなに遊んでいいな、と何百回と言われてきた。

 

しかし、幸せだとは限らない。

 

チヤホヤされたり女性として惹かれる女であることは、とても嬉しい。

 

だが、度を超えた求めていないものであれば、ただ鬱陶しいだけだ。

 

何度も自分に聞いたことがある。

 

「私がなにをしたの?なにをしたらこんな目に遭わなきゃならないの?」

 

よくあるやつだ。

 

自暴自棄になって、人や環境のせいにしたこともあった。

 

可能な限りの対策は取ってきたし、現在も私の実家と自宅周辺は警察が強化パトロールしてくれている。

 

だが、ふて腐れていても自分の人生を決めるのは自分だけだ。

 

強くなるしかなかった。

 

大人になるしかなかった。

 

耐えなければならなかったし、私だから耐えられるのだと信じた。

 

折れることも、諦めることも、逃げることも、死ぬこともできた。

 

同情を引き、人や環境のせいにし、親の脛をかじって生きることはいくらでもできただろう。

 

しかし、自分の人生をそんな風にはしたくなかった。

 

シンデレラはいつだって、ハッピーエンドを掴み取りに行く。

 

諦めたら終わりだ。

 

逃げてはだめだ。

 

真っ向勝負を挑んで、正々堂々としていればいい。

 

これが私だと言える強さを、世の最底辺にいるクズ(性犯罪者)から教えてもらうことができた。

 

私にとって男性は敬うべき相手であり、必要な存在

 

昨今、女性の権利だのLGBTだの権利を訴える人がたくさん出てきた。

 

伴ってインターネット上では様々な意見が論じられているが、中には権利をかざして欲求を満たそうとしているだけの輩もいる。

 

私は女性だ。

 

男性を愛する異性愛者だが、性癖は異常である。

 

今のところ、私は女性としての権利に不満はない。

 

虐げられてるとも思わないし、敬えとも思わない。現状維持、それでいいと思っている。

 

しかし、不思議に思われることの方が多い。

 

  • そんなに性犯罪に遭っていたのなら、男性を怖いと思わないの?
  • なぜレイプされたのに、レイプまがいのプレイに興奮するの?
  • 男性を恨んだり嫌いになることはないの?

 

私の過去を話した人に聞かれたことは、そんなことばかりだった。

 

だが、そのどれも私には当てはまらない。

 

女にも良い人と悪い人がいる。

 

女だからと一概には言えないように、男性にも良い人と悪い人がいて当然だろう。

 

私が過去の色眼鏡を通して、男性を見ることもできる。

 

しかし、それはもったいない。

 

性に関係なく、人として惹かれる人はこの世に必ずいる。

 

そんな人と出会えたとき、色眼鏡を通して見れば、私は多くの可能性を失ってしまうことになる。

 

だから男性を恨むこともないし、嫌いになることもない。

 

浮気をされたり働かなかったりすれば、話は別だ。

 

その点は普通の恋愛感情を持ち合わせているし、男性が嫌いでなくとも、元カレや犯人は嫌いかもしれない。

 

数々の性犯罪に遭っておきながら、暴力的なセックスを好むのは不思議だろう。

 

なぜわざわざ?と思うのは、あなたが正常な思考を持ち合わせている証拠だ。

 

私自身も、不思議で仕方なかった。

 

夫にビンタをされると、漏らしたかと思うほど濡れる。

 

赤く腫れ上がりアザになるほど、私は締まりがキツくなる。

 

首を絞められ、カミソリで切り刻まれ、血が吹き出し、痛くて苦しくて死にそうな状況の中、私は快楽と愛を感じている。

 

異常だ。

 

どう考えたっておかしい。

 

性犯罪を経験したマゾは多い。

 

家庭環境に問題があったサディストも多い。

 

幼い頃から抱えていた満たされない欲求は、いずれ必ず爆発する。

 

私は自分を虐げ痛め付けることで、それが似合う程度の人間なんだと思わされる。

 

そうして満たされたコップを見ると、安心することができるのだ。

 

この感情を一般共有することは不可能だろう。

 

だが、トラウマは抱えているより解放した方が絶対に生きやすくなる。

 

まとめ

 

私の人生は、色々なことがあり過ぎた。

 

若干アラサーにして、様々な世界を見過ぎだ。

 

故に、生きづらいと感じることも多かった。

 

一般的に勉強ができたり家柄がよかったり、お金に恵まれていることは、幸せだと思われがちだ。

 

しかし、幸せとはほど遠い人生を生きてきた。

 

私は夫に給料を聞いたことがない。

 

預金も知らずに入籍し、今後も聞くことはないだろう。

 

一度だけ、義理の母の介護費用をめぐって、夫と言い争いになったことがある。

 

夫は「お前の言ってることは綺麗事だ、お金がなければ飯を食うこともできないのに。」と言っていた。

 

しかし、私は「それこそ綺麗事、人はお金のために生きられない。」と言って、一歩も譲らなかった。

 

生まれた環境が違う。

 

育てられた親も異なり、見てきた世界も違う。

 

意見は異なって当然だ。

 

だが、私は夫よりも早く、自分の親を介護した経験がある。

 

夫の言っていることは十分理解した上で、残された時間を無駄にするなと伝え続けた。

 

それ以外で、お金の話をしたことはない。

 

この世はまだまだ、家柄や肩書きを重要視する傾向がある。

 

確かに一定のラインで「区別」することは、間違いでないだろう。

 

だが、家柄や肩書きが人柄とイコールになることはない。

 

絶対に、だ。

 

どんなにお勉強ができても、どんなに良い家の出身であっても、その人が人として立派であるかどうかはまた別の話だろう。

 

所詮、与えられた看板などその程度でしかなく、結局は自分の力で見てきた世界から得るものの方が、ずっと役に立つのだ。

 

親や兄弟、環境のせいにすることはいくらだってできる。

 

私は同情させる自信が持てるだけ、悲惨な日々を生き抜いてきた。

 

だが、そんなことをしても、事態が好転するわけではない。

 

バカと天才は紙一重だと言われるのは、そこにあるのだろう。

 

開き直ることは悪だと思われがちだが、開き直ったものが勝つのだ。

 

誰に?自分に。

 

そうして少しずつ、人は成長していく。