私はヘロイン以外の全ての違法薬物を体に打ち込んだ

 

先日逮捕されたピエール瀧氏とユニットを組んでいる石野卓球氏が、逮捕後に笑顔のツーショット写真を投稿したと反響を呼んでいる。

 

多くのファンはその姿にありのままの電気グルーヴを感じられたと喜んでいたが、一方、若者に悪影響を与えるのではとの声も聞かれた。

 

彼らを批判する人のほとんどは、違法薬物を使用した経験がないだろう。

 

「一度やったらやめられない」

 

そんな他人の経験を受け売りし、さも自分が経験したかのように物差しを振り回している。

 

しかし、日本にごまんといる薬物依存症患者を救う方法を、石野卓球氏は体現している。

 

私は13歳で大麻に手を出してから、ヘロイン以外の全ての薬物を経験した。

 

後悔などしていないし、反省?そんなものをする必要がどこにあるのか。

 

何も知らないくせに知った気になっている人へ、現実を教えよう。

 

f:id:jijjy:20190522184133j:plain

 

IQが高い人間ほど違法薬物を好む傾向がある

 

さて、まずはこの記事をご覧になって頂きたい。

 

www.bloomberg.co.jp

 

私の経験上、覚せい剤をやめられない人間というのは極端にIQが低い。

 

しかし、逆に、大麻にハマる人間は異常にIQが高い。

 

だから良いとか悪いとかの話をしているわけではなく、IQというのは人生と大いに関係がある。

 

興味を持つもの、生き方、進む道、手に取るもの、それらは脳の活動領域によって異なる。

 

人それぞれ価値観が異なるのは、見ている視点が人によって違うのだから当然であろう。

 

IQが高いと聞くと、一般的には勉強ができると思われがちだ。

 

しかし、学力とIQが比例するわけではない。

 

世の中には、高学歴なのに仕事のできない人がいる。

 

口から出てくるのは、「東大を出たのにこんな仕事は見合わない」という、正当化しているだけのクソみたいなセリフだ。

 

そういう人は勉強こそできるが、残念ながらIQは低い。

 

逆に、中卒で頭の回転が異常に早い人もいる。

 

学歴や肩書き問わずに人と話すことができ、会話の内容もテンポよく進む。

 

そういう人は勉強こそできないが、IQは高いのだ。

 

IQが高い人は、1の情報から10を汲み取ることができる。

 

人より多くの物事を感じて生き、ひとつの経験から多くのことを学ぶ。

 

となると、だ。

 

嫌なことや悲しいことを人より多く感じる分、幸せや喜びも人より多く感じることができる。

 

要は感受性の振れ幅が大きいため、他の人より「もっともっと」という幅も広くなる。そこで興味関心を惹かれるのが、違法薬物なのだ。

 

人間、誰しも二宮金次郎なので、「やってはダメ」と言われると余計に興味をそそられる。

 

特に私のような反抗心で生きている人間は、「やったこともないくせに、なにがダメなのか根拠を示せ」と噛み付きたくなってしまう。

 

そうして違法薬物に手を出すのだが、IQの高低差が出るのは「やめるとき」である。

 

バカは一生求め続け、賢い人間は限界があることを知る

 

私が最後に覚醒剤を打ち込んだとき、メモリ7まで覚せい剤を詰めた。

 

正直ネットに載っている致死量というのは嘘だし、メディアによって致死量の数字が違う。

 

その時点で、メディアがいかに適当なことしか言っていないかよく分かるだろう。

 

要は、人によって致死量が異なるので、絶対という基準は存在しないのだ。

 

通常、覚せい剤を打つ場合は多くてもメモリ2くらいしか詰めない。

 

量にしたら0.2~0.3ほどだ。

 

その2倍から3倍の量を打った私は、3日間記憶が飛んでしまった。

 

恐らく猿のようにセックスをしていたのだが、誰とどこでなにをしていたかまるで思い出せない。

 

幸いなことに死なずに済んだが、我に返ってふと思ったのだ。

 

「記憶が飛んでしまえば、楽しかったかどうかすらも分からない。そんなものに何万円もお金を出すのはどうなんだろう。」

 

そう考えるとなんだかバカバカしくなり、それ以来、一度も覚せい剤を打っていない。

 

それでも、やり続ける人がいる。

 

そういう人は一生刑務所の出入りを繰り返し、最終的には死ぬであろう。

 

大麻LSD、コカイン、MDMA以外の違法薬物には、快楽を得られる限界がある。

 

特にケミカル種と呼ばれる、覚せい剤・ヘロイン・アヘンには、多幸感を得られるピークが存在し、そのピークは一度しか訪れない。

 

「ピークは一度しかない」それは薬物を摂取していれば誰しも実感することができるので、やめるチャンスなどいくらだってある。

 

賢い人は満足できないと知ると呆気なく幕引きすることができるものの、バカは一生、たった一度のピークを再び感じようと同じことを繰り返すのである。

 

世の中には、口ばかり、人のせいばかり、理由を正当化し保身にしか走らない惨めな人間がいるだろう。

 

彼らはシャブ中と同じである。

 

賢い人間はなににでも、限界があることを知っている。

 

快楽にも、悲しみにも、限界がある。

 

快楽の限界を追い求め続けても、ピークが二度やってくることはない。

 

ならば、快楽へのアプローチを変えればいいのに、そうすることはない。

 

なぜか、バカだから。

 

悲しみはピークさえ超えてしまえば、乗り切ることができる。

 

真実は時に人を傷付けるが、前を向かせてくれる原動力となることは確かだろう。

 

覚せい剤や他の違法薬物が、一度やったらやめられないというのは嘘だ。

 

他人の経験を受け売りしただけの、くだらないキャッチコピーでしかない。

 

やめようと思えばいつだってやめられるし、問題は結局、自分がどうしたいかだけなのである。

 

身体的依存だの精神的依存だの、医者はとやかく言うが、意思で変えられないことなどこの世に存在しない。

 

いつまで経っても薬物のせいにしていれば、本人は楽だろう。

 

覚せい剤が悪い、私は悪くない。」

 

その時点で自分が保身に走っていることすら、バカは気付かないのだから。

 

違法薬物の種類と効果効能について

 

そもそも、違法薬物を正しく理解していないのに、違法薬物だからと一緒くたに叩く人間が多すぎる。

 

とりあえず全部やってから出直して、という感じだが、そんな根性もないから人を叩くことで自分の正義感を満たしているのだろう。

 

惨めなことこの上ない。

 

まず、日本で違法とされている薬物には以下の種類がある。

 

 

医薬品を乱用することも違法薬物に当たるし、シンナーやガスなども一応、違法薬物とされている。

 

だが、そんなものは中学生の頃に遊ぶレベルでしかなく、乱用を続けているのはメンヘラか救いようのないチンピラだけである。

 

代表的な違法薬物6種は、元々自然界の中にある物質と人工的に作られた物質に分けられる。

 

【元々自然界の中にある物質】

 

  • 大麻
  • コカイン
  • ヘロイン

 

【人工的に作られた物質】

 

 

正直、大麻以外の違法薬物は劇的に違いがあるわけではない。

 

しかし、それぞれに使い方、見合った状況がある。

 

受け売りしか知らないおバカさんへ、実際に使用した経験者から本物の効果効能を説明しよう。

 

大麻

 

まず最初に言うが、大麻はいくら吸っても死なない。

 

幻覚を見ることなどないし、幻聴が聞こえるとしたら、思い込みが激しすぎて日頃から面倒な人間であることがよく分かる。

 

効果はただぼーっと、アルコールを適量飲んだ感覚に近い。

 

眠気、食欲増進、セックスの快楽は増し、ちょっとやそっとのことは許せるようになる。

 

医学的見解には様々な意見があるが、医者でない私から言わせると、死の可能性があるアルコールはOKで、死ぬことはない大麻はダメという理由は理解できない。

 

アルコールを摂取して人を殺す人はいても、大麻を摂取して人を殺す人はいないのだ。

 

心穏やかになれる大麻は、基本的に家や気が許せる場所で、食事や映画を楽しみながら使用される。

 

クラブやアクティブな遊びには向かない、のんびりした薬物だ。

 

覚せい剤

 

覚せい剤は打つ方法と炙る方法があるが、ほとんどの人は炙りで使用している。

 

覚せい剤やってたよ!」

 

「打ったことある?」

 

「あるよ!」

 

「すげえええ!」

 

みたいな会話が行われることもしばしあり、何十年とシャブ中のくせに打ったことがないヘタレも多い。

 

覚せい剤を摂取すると、瞳孔が全開に開くので、光りを強烈に感じる。

 

また神経質になるため、ひたすら家の掃除をしたり同じことを数時間続けていたりする。

 

食欲はなくなり、眠気もなくなる。

 

セックスの快楽は増すが、相手が誰でも関係なくなるので、動物に返る(愛のないセックス)と私は呼んでいる。

 

また覚せい剤で最も特徴的なのは、切れ目だ。

 

暴れる、キレやすくなる、衝動的になる、理性が効かなくなる、などと書かれているが、それは人によって異なる。

 

寝ない、食べないで数日間過ごすため、その反動はどうしても大きい。

 

何日も寝込む人、誰とも口を聞かず静かに過ごしていたい人、暴れて当たり散らす人、覚せい剤の切れ目には最も人となりが出るのだ。

 

この切れ目の態度によって、友達が増えたり減ったりすることもある。

 

【コカイン】

 

コカインはコカの木という植物から採れる「アルカロイド」という成分を固めたものだ。

 

ケミカル種と思っている人も多いかもしれないが、麻酔に利用されることもある医薬品の一種である。

 

摂取方法の多くは鼻からの吸引であるが、歯茎などの粘膜に塗って摂取することも多い。

 

コカインは少量で効くのだが、効果時間がとても短い。

 

ピークは数十分ないし数時間程度で、覚せい剤が数日と考えると、なんとも効率の悪い薬物である。

 

なので、アメリカなどでは「お金持ちの遊び」と呼ばれている。

 

長く楽しむためには量が必要=お金が必要なので、貧乏人は他の成分が混じったまがい物を摂取している。

 

効果はテンションが上がり、音を鮮明に聞き分けることができる。

 

クラブやアクティブな遊びに使うにはうってつけで、正直、ピエール瀧氏がコカインで逮捕されたとき、やっぱりね!(もちろん良い意味でニヤニヤしながら、期待を裏切らない)と思った。

 

コカインだけを使用している人は少なく、ほとんどの場合、他の違法薬物と併用している。

 

それも効果時間が短いためであり、コカインだけを摂取することができるのは、ある意味お金持ちの証拠なのだ。

 

【ヘロイン】

 

ヘロインは違法薬物の最高峰といわれており、日本で手に入れることは早々できない。

 

ヘロインには、他の違法薬物と決定的に異なる点がある。

 

大麻覚せい剤、コカイン、LSD、MDMAは、摂取することで快感が得られる部分も少なからずあるが、使用してなにかをすることによって楽しさが得られる。

 

たとえば、セックスやクラブ遊び、クリエイティブな創作や集中する時間など、薬物を利用することでそれらが助長される面がある。

 

しかし、ヘロインは摂取するだけでなにもしない。

 

ヘロインは摂取すると摂取したときの体勢のまま、数時間ないし数十時間動かなくなる。

 

摂取するだけで快感を得られるため、なにかをする必要がないのだ。

 

目の前を人が通ったりなにか刺激を与えられても、同じ場所を見つめたまま動かずにいる。

 

摂取する=快楽というのがヘロインの決定的な特徴であり、それ以外にプラスアルファで行動する必要がない。

 

なので、ヘロイン常用者は時間と体だけを消費し、やがて快感は減っていくものの量は増えていく。

 

そうして最終的に死へ追いやられるのである。

 

まあ、日本でヘロインを手に入れることができる人は、救いようがないというか、関わってはいけない終わってるヤク中だろう。

 

LSD

 

インターネット、パソコンはLSDを摂取した状態で作り出されたものだ。

 

逮捕されたピエール瀧氏に伴って、電気グルーヴの音源等は全て配信が停止されたが、LSDを摂取した状態で作り出されたものは世に溢れている。

 

ヤク中の作ったもの=害があるもの、としてしまうと、この世のほとんどのものが消え去ってしまうことは間違いない。

 

LSDは病気を治療する薬を開発する途中で、偶然見つけ出された物質で、保存方法がとても難しい。

 

日本でも90年代から2000年代には容易く手に入れることができたが、現状出回っているLSDのほとんどがまがい物だ。

 

効果は幻想的な幻覚を見れることで、クリエイティブな人間はそれらの幻想からヒントを得てものを作ることがある。

 

アップルを創ったスティーブ・ジョブズLSD常用者であり、マックブックの起源といわれる「リサ」を創り出したときはキマっていた。

 

抜け感は覚せい剤やコカインよりも軽い反面、セックスなどの直接的な快感が得られるわけではないので、好き嫌いがはっきり分かれる。

 

絵を描くのが好き、音楽が好き、ものを作るのが好き、それらの人に好まれるため、ただのヤク中には最も縁遠い違法薬物である。

 

【MDMA】

 

MDMAはLSDに似ている違法薬物だが、どちらかというとLSDよりバカに近い薬物である。

 

主にクラブで利用することが多く、MDMAを利用して行われるのは音遊びかセックスだ。

 

現在日本で出回っているもののほとんどに混ぜ物と呼ばれる、意味不明の物質がカサ増しされている。

 

そのため昔に比べると飛び感は少なく、当時を知っている人間としてはお金を出して買う価値はないと思ってしまう。

 

音が鮮明に聞こえ、体の感覚が敏感になる。

 

しかし、神経質になり過ぎて「落ちる」という、嫌な感情で心が満たされることも多い。

 

それ故にパニックを起こすことも多いが、ほとんどの場合は数時間だけ恐怖に耐えれば問題は収まる。

 

常用したところで楽しさが得られるのはクラブなどの施設へ行く必要があるため、普段からずっと使用している人はほとんどいない。

 

特定の場所へ行くときだけ、特定のなにかをするときだけ、使用する違法薬物である。

 

ハリー・ポッターを観るなら<U-NEXT>

 

一通り違法薬物を経験して思うこと

 

正直、どうでもいい。

 

経験したからこそ見えた世界もあったが、知る必要があるかといわれたら絶対ではないだろう。

 

興味があるならやればいいし、嫌だと思うなら無理にやる必要はない。

 

私が違法薬物に手を出したのは、単純に興味本位だった。

 

周りの友人がやっていたこともきっかけのひとつであるが、そういった世界を見てみたい気持ちがあった。

 

元々、画家になりたいと思っていたこともあり、大麻LSDにはずいぶんお世話になった。

 

摂取し、絵を描く。

 

摂取し、音楽を聴く。

 

摂取し、自然の中を歩くことで発想を得た。

 

セックスを目的に使用することも多かったが、そのために依存するようなことはなかった。

 

違法薬物の中でも特に覚せい剤に関しては、セックスにハマってしまいやめられない人は少なくない。

 

その快感は言葉に表せないほどで、たとえ見ず知らずの人間に犯されても、覚せい剤を摂取していれば信じられないほど感じるだろう。

 

欲深い人間はそうしてどんどんハマっていくわけだが、最初に述べたように快楽には限界がある。

 

それに気付くことができる人間は、使い続けることをしない。

 

違法薬物で逮捕される人間はいつの時代も後を絶たないし、これからも無くなることはないだろう。

 

人間がこの世に存在する限り、欲も存在するのだ。

 

しかし、闇に堕ちてしまった人間をどうするのか、という課題は未だ残されたままである。

 

日本は特に違法薬物に対しての偏見がひどく、社会で更生させる機会をほとんど与えていない。

 

私も自身の経験を明かすことにリスクを感じたが、少年院卒となれば失うものなどなにもない。

 

薬物を摂取したことがあるというだけで、人は色眼鏡で見る。

 

ピエール瀧氏に対しても同じで、ほとんどの人は彼の人柄や経歴を無視して手のひらを返した。

 

それが当たり前の反応だといえばそうかもしれないが、人間、誰しも罪を犯すものではないだろうか。

 

ピエール瀧氏を叩く様子を見て、私はこう思った。

 

「罪を犯したことがない者だけが石を投げよ、と言ったら、このうち何人が石を投げられるのだろう。」

 

きっと、ひとりもいないだろう。

 

私は違法薬物を摂取した過去を過ちだとは思っていないし、少年院に入ったことは有り難く思っている。

 

石野卓球氏の姿勢には多くの批判が寄せられていたが、彼は薬物を使用したピエール瀧氏に対して一切の色眼鏡がない。

 

違法薬物をやって迷惑をかけたダメな奴、ではなく、彼の中でピエール瀧氏は、どんなピエール瀧氏もピエール瀧氏でしかないのだ。

 

連帯責任だのグループとしてあの対応はない、と批判されていたが、彼が罪を犯したわけではないのに、なぜ謝る必要があるのか教えてほしい。

 

では、非行少年の通う学校は事件を起こされる度、全校集会や保護者会を開いて「我が校の教育に問題があった」と謝罪するのか?

 

そんな学校は見たことがないが、必要のないことをしていた自分たちの足元をよく見るべきである。

 

こんなクソみたいな社会も常識も、許してニャンで十分過ぎるほどだ。

 

興味を惹かれた時点で「でも犯罪だよな…」と、踏み止まらない人間はいない。

 

誰しも犯罪だと分かった上で、違法薬物に手を出している。

 

理性で抑えられなかったといわれれば、確かにそうだ。

 

しかし、不倫も露出して出歩くことも、ワンナイトラブも痴漢も強姦も、理性が働かなかった結果だろう。

 

種類は違えど、同じ理論であることは間違いない。

 

それを自分のことは棚に上げて、不要な正義感を押し付ける人間があまりにも多い。

 

そういう奴らに限って、シャブ中になること必須なのだ。

 

なぜか分かるか?

 

バカだからだ。

 

経験のひとつとして違法薬物があっていいと私は思うし、やりたい奴は好きにやったらいい。

 

だが、そうすることで人に迷惑をかけることは話が別だ。

 

私も親や友人を心配させたことについては、猛省した。

 

母に「自分の体を痛めつけることはしないでほしい」と言われたとき、この体は自分のものだけではないと気付いた。

 

少なからず心配してくれた人間に対して、ピエール瀧氏も誠意を持って対応する必要はある。

 

しかし、それ以上になにかをする必要はない。

 

絶対に、ない。

 

失望したというファンもいたが、そんなファンはただのぽっと出の、口だけ野郎である。

 

お金を落とすほどのファンは石野卓球氏もピエール瀧氏も、電気グルーヴという存在をよく理解している。

 

でなければ、わざわざ警察署まで行って「頑張れよ!」と言う必要などないのだ。

 

あの応援は世間に対しての応援ではなく、ピエール瀧氏個人の人生に対する応援であろう。

 

違法薬物を摂取していた、その経験も含めて彼である。

 

あの場でそう叫んだファンは、石野卓球氏と同じで、どんなピエール瀧氏もピエール瀧氏でしかないのだ。

 

違法薬物ごときでさじを投げるのであれば、遅かれ早かれ離れていくことは目に見えているだろう。

 

私も違法薬物を摂取しているのが友人にバレたとき、「見損なった」と言われたことがある。

 

なにをだ?

 

自分の期待に沿わない人間だから見損なっただけであって、私は相手に対して「私をこんな人間だと認識してほしい」と頼んだ覚えはない。

 

オナニーを見せ付けておいて、セックスしてくれるって言ったのに!と言われても、そもそもお前を抱くなんて一言も言ってないけどね!という感じである。

 

むしろ、見たくもないオナニーを見せつけられた、こちらの気持ちを考えてほしいくらいだ。

 

気持ちが悪い。

 

気持ち悪いんでもキモいんでもなく、気持ちが悪い。

 

それを理解できないバカが石野卓球氏に噛み付き、クランケと呼ばれ、見るも無残に身ぐるみを剥がされているのである。

 

滑稽以外のなにものでもない。

 

問題は、違法薬物を摂取した人間にどのようなチャンスを与えるか、ということである。

 

過去を振り返っても、得られるものはそう多くない。

 

どうせなら、前を向いて生きた方がお得じゃないだろうか。

 

罪を犯した人間に必要なのは「見守ることだけ」

 

見守ることと、上から目線で説教を垂れることの違いを理解していない人間は多い。

 

先ほども述べたが、違法薬物を使用している人間は違法だと分かって手を出している。

 

逆に違法だと分からずに手を出しているなら、そいつは救いようがないから見捨てていい。

 

人は誰しも間違いを犯すし、時に人を傷付ける結果となることもある。

 

誰しも、だ。

 

間違いを犯さずに生きられる人間は存在しないし、大なり小なり人は間違いを犯しながら生きている。

 

万引きだから軽い、殺人だから重いという罪の重軽は存在しない。

 

違法薬物に対して色眼鏡を持っている人は、犯罪に対して大小の区別を付けたがるが、それは「区別」ではなく「差別」である。

 

その違いすら分からないから正義感を振り回しているわけだが、そういう人間が罪を犯した者のチャンスをことごとく潰しているのである。

 

違法薬物を摂取した人間に、「やめろ」と言う必要はない。

 

いいじゃないか。

 

他人を縛り上げて薬物を摂取させるのであれば別だが、自分の体に自分の意思で毒を打ち込んでいるだけだ。

 

害しているのは自分の体であって、誰かの体ではない。

 

好きにさせたらいい。

 

今回の逮捕でピエール瀧氏が薬物をやめるかは不明だが、自分の意思で毒を打ち込んでいる以上、どのタイミングでやめるかを決めるのも本人だ。

 

逮捕がきっかけかもしれないし、単純に飽きてやめる人もいる。

 

誰かが亡くなったことをきっかけにというパターンもあれば、やめる前に死ぬ人もいる。

 

そいつの人生だ、好きにさせてやれ。

 

受け売りでしかない自分の物差しで他人の経験を測定し、頼んでもいないのに説教を垂れ、さも自分は神様かのような顔をして、偉そうに人の人生に口を出してくる。

 

誰も頼んでないぞ?大丈夫か?またオナニーの見せつけか?

 

だったら頼むよ、他でやってくれ。

 

頼んでないんだから。

 

  • 彼がこれからどうするか見守る
  • そのために自分にできることがあるか考える

 

必要なのはこのふたつだけである。

 

見守るというのは、口を出すことでも手を出すことでもない。

 

自分にできることというのは、説教を垂れることでもオナニーを見せつけることでもない。

 

石野卓球氏が素晴らしいと思うのは、それができているからである。

 

ほとんどの人間にそれはできないし、無意識のうちにオナニーを見せ付けていることすら分かっていない。

 

もしも、社会の中で、違法薬物を摂取している人間に出会っても「だから?あっそう」でいいのだ。

 

お前もやれよと誘ってくる人間ならば、その時点で切ってしまえばいいし、なにかするわけでないのであれば、そのままの関係を続けたらいい。

 

最後に聞きたいことがある。

 

「あなたは人の人生に口を出せるほど、立派な人生を生きているのか?」

 

まとめ

 

日本人は特にそうだと思うが、誰かが叩き始めると、自分も叩かなくてはという無駄な焦燥感に駆られる傾向がある。

 

右向け右の精神がそこにあるわけだが、私は右向けと言われたら迷うことなく左を向く。

 

どうして人に言われたことを、私が聞かなくてはいけないのか。

 

お前の人生か?私の人生だ。

 

人は誰しも罪悪感を持って生きているし、話せないことがあるのは当たり前中の当たり前だろう。

 

過去の過ちをいつまでも持ち続けるより、そんな過去も受け入れ進んでいく方が、たった一度の人生を楽しめるのは間違いないだろう。

 

犯罪者にその権利はない?

 

では、この世の全員が生きているだけで地球に迷惑をかける犯罪者なわけだが、自分は違うと思っているのか。

 

死んでどうぞ。

 

私は今後もピエール瀧氏には変わらずいてほしいと願うし、至極当然の顔をして人生を楽しんでくれることを心から祈っている。

 

たとえまた罪を犯したとしても、だから見捨てる理由にはならない。

 

なぜか、人が罪を犯すのは一度ではないからである。

 

誰しも死ぬまで罪を犯し続け、その度になにかを学び、またひとつ人生を楽しむ理由を見つけていくのだ。

 

人にオナニーを見せ付けて満足しているような人間に、愛のあるセックスの価値が分かるわけがない。

 

オナニーの見せ合いは、セックスではない。

 

いいか?

 

勃起したちんちんとビチョビチョに濡れたまんこがそこにあって初めて、セックスというのは成り立つのだ。

 

ちんちんを勃起させるためにも、まんこをビチョビチョに濡らすためにも、必要なのは「愛と思いやり」である。

 

己の自己満足のために満足感を得ようとしているのなら、それは痴漢や露出魔と同等のゲス野郎である自覚を持った方がいい。

 

やりたいならやれ、打ちたいなら打て。

 

死にたいなら死ぬ自由があるし、それを止める権利など誰にもない。

 

けれど、それでも、生きていてほしいと願うのなら、手を出すのも口を出すのもやめて、愛と思いやりだけで包み込んでやればいい。

 

そんなこともできないくせに、物差しを振りかざす多くの人間がいることこそ、恐怖しか感じないのだ。

 

罪に必要なのは、愛だけ。

 

それ以外に必要なものなど、この世に存在しない。